ぴゃんの本棚



きもちよく買物しよう(ピープルツリー



浅田彰・黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉著 『科学的方法とは何か』

 〈科学〉の語はマジックワードであったし、いまもマジックワードであろうとしている。
 その方が都合が良い人がいるからだろう。イデオロギーに〈科学〉という名の衣を着せることでカモフラージュするというのは、もういい加減見飽きた手法なのだが。

 一方で、この〈科学〉という語が力を失っているのが現代だとも言える。イデオロギーとの関係でもそれ以外でも、〈科学〉や〈科学〉の営みの化けの皮を剥ぐ作業は様々な側面から行なわれている。哲学・論理学から、倫理学から、社会から、等々。その結果として、〈科学〉という語の持つ力とともに〈科学〉の持つ力そのものへの過度の不信が生じている部分もある。「科学なんて全然駄目だ」というわけだ。

 しかし、それでも〈科学〉でなくては扱えない問題があることは事実だし〈科学〉の力なしには見えない問題があることも間違いない。

 そうした中で新しい〈科学〉を主張するグループもある。超・科学やら、ニューサイエンスやら、ホーリズムやら、である。これらは従来の〈科学〉という語の力に勝つことはできたかもしれないが、従来の〈科学〉の力には勝てていない。残念ながら、新しい〈科学〉は〈科学〉としては駄目なのである(メタファーとして、語の力としては駄目だという訳ではない。本書では、新しい〈科学〉の力と限界について正当な扱いがなされている)。

 こうした様々な意味で、〈科学〉が問い直されているのが現在の状況である。この本は、こうした現代の状況をもう一度考えようとする。4つの専門分野の科学者と一人の哲学者が、〈科学とは〉というテーマで語り合う。まず、4人の科学者がそれぞれの専門分野について語り、それをめぐって論じ合う構成になっている。

 黒田末寿氏はサル学が専門。
 佐和隆光氏は計量経済学をやっている。
 長野敬氏は広い意味での分子生物学(私がかつて勉強していた分野)である。
 最後の山口昌哉氏は数学。

 こうしたメンバーが、それぞれの分野の話を紹介し、それについて浅田彰氏を交えて論じている。

 内容はさすがに一流の学者を集めているせいか、〈科学〉の力とその限界についてきちんと見据え、現代の〈科学〉とは何なのか、どうあるべきか、が議論されている。もちろん解答は出ないわけではあるが。

 科学論を意識している科学者(持ってない科学者の方が多いだろう)が論じているので議論は面白い(科学論その他について全く知らないとやや難しいかもしれないが)。浅田氏の狂言回しもさすがである(「オートポエーシス」などという語も登場します)。

 〈科学〉について「こんなものか」と見極めておかないと、現代の抱える問題のかなりの部分が扱えないように思えます。

 例えば「環境」。例えば「農薬」(広い意味では環境に入るが)。例えば「水道」。例えば「生殖技術」。例えば「移植」。例えば「脳死」。例えば「薬」。例えば「エネルギー問題」。例えば「原子力」。例えば「コンピュータ」。

 〈科学〉に対する過度の不信も過度の信頼も同じように危ないのです。〈科学〉の言葉の力に騙されないようにするために、〈科学〉の力と限界を見極めておくことは重要なだけでなく、必要なことだと思います。少なくとも〈科学万能主義〉を批判的に見る力くらいは持たなければ……。

 子どもは〈科学万能主義〉を現代の日本文化から学んでしいます。そこらじゅうに〈科学万能主義〉があり〈科学万能主義批判〉は目に入らないからです。それでは将来は真っ暗。大人がまず〈科学万能主義〉の危険に気づき文化を変えない限り、文化から学ぶ子どもは〈科学万能主義〉に染っていくのです。


(1992年02月)


中央公論社
新書814
1986


戻る

Copyright(C) 2009 ぴゃん(-o_o-)/額鷹

メールアドレス

このサイトはSitehinaで作成されています。