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池波正太郎著 『仕掛人・梅安シリーズ』
『梅安蟻地獄 仕掛人・藤枝梅安』
『梅安最合傘 仕掛人・藤枝梅安』 『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安』 『梅安乱れ雲 仕掛人・藤枝梅安』 『梅安影法師 仕掛人・藤枝梅安』 『梅安針供養 仕掛人・藤枝梅安』 池波氏の”仕掛人”シリーズはTVドラマの必殺シリーズのもとになっている作品である。請け負い殺人という殺伐なテーマで描かれているのだが、決して殺伐とした雰囲気がない。料理や女性が描かれているシーンには、のんびりとした、またあでやかな雰囲気がある。 さて、主人公の藤枝梅安は腕の良い鍼医師である。鍼だけでも十分に食べていけるだけの腕を持ち、本人も鍼の奥の深さに探求心を刺激され、懸命に努力している。決して人を殺して得た金で贅沢をしているのではない。が、一方で「生きていては世の為にならない」相手だけを殺すとは言っても、そこにあるのは一方的な判断であり、それを正しいと言うことはできない。そうした矛盾を矛盾のまま描いているのがこのシリーズである。 池波氏自身が述べる言葉によれば、このシリーズの主題は「人間は、よいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをしている」ということだそうだ。それは登場する”仕掛人”だけに当てはまるのではなく、仕事を依頼人(”起こり”と言う)から受け”仕掛人”につなぐ元締め(”蔓”と言う)、依頼人、そして殺される人物でさえそうである。みなそれぞれに人情豊かであったり……。悪人は悪人らしく、正義の味方は100%正義の味方、といった勧善懲悪の作品とは対極にいる。そこにこのシリーズの深みが生じていることは著者自身が指摘している通りであろうと思う。 梅安とその仲間の仕掛人は、明らかに「金で請け負う人殺し」なのだが、「世の中の為にならない人間だけを殺す」という彼らのモラルのために、まるで正義の味方であるかのようなイメージを読者に与える。しかし、それはあくまで、「正義の味方で”あるかのような”」であって「正義の味方」ではない。仕掛人として描かれている梅安らは、正義の味方としては生きていない。あくまで人殺しであるという現実を見すえ、人生に対するある諦念を心の真ん中に持ちながら生きている。ま、この諦念を持ちつつ生きている人間として描かれているからこそ、いわゆる「正義の味方」の底の浅さとは無縁なのだろう。「正義」が相対的なものであること――「正義」とは所詮だれかのための正義であり、所詮なんらかの規準に照らした正義なのだ、ということ――を感じながら読むと一層味わいが深くなるところが、このシリーズの素晴らしさだろう。 講談社文庫 |