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生田久美子著 『「わざ」から知る』
この本で扱われているのは伝統芸道の伝承における認知過程である。伝統芸道の芸術的価値や社会的意味を対象としているわけではなく、〈伝承〉の部分を、認知科学の視点で理解しようとしている。
著者は、まず「伝統的な『わざ』の習得における大きな特徴の一つは、各『わざ』に固有の『形』の『模倣』から出発する点にある」と述べる。そして「非段階性」・「評価の非透明性」も特徴としてあげる。 その上で、「形」から「型」への移行として、わざの習得を描き出す。それをごく簡略に紹介しよう。 「ある『わざ』の習得を志して入門した学習者の出発点は自らが『善いもの』として同意することで、その権威を認める師匠の示す『形』を模倣し、それを繰り返すこと」だが、その模倣の繰り返しのなかで学習者は「その本来の『善さ』の広さと深まりに気づきつつ師匠の『形』を模倣、繰り返す自分を客観的に師匠の第一人称的視点から眺め始め、自ら自分の示す『形』を批判吟味し、さらに反省を試みるようになる」という。 次の段階として、「形」の習得以外の事柄の「意味を、自分の『形』と関連させて捉えるようになる。つまり『形』の教授(学習)それ自体への注目から、それ以外のものへと自らの注目を移していき、その世界全体の意味連関を身体全体を通して整合的に作り上げてい」くのである。 そして「世界全体の意味連関のなかで自らの示す『形』の必然性を納得できるようになることがすなわち当の『わざ』の『間』を体得できたこと」である。この「間」の習得が「型」の習得の鍵である。 本書では、「形」と「型」は明確に異なるものとして扱われている。「形」と「型」の区別は、重要かつ必要なこととされているのだ。では、両者の違いは何か。明確で万人が了解できる説明ではないが、著者の言葉を借りれば、「『形』は外面に表わされた可視的な形態であり」「『型』は……人間の生活のなかで生じてくる『形』の意味」ということになる。 「形」と「型」の区別は重要かつ必要であるにもかかわらず、「形」と「型」の混同・混乱がとくに教育の場面で生じていると、著者は指摘している。 ◇ 伝統芸道を扱った本にありがちな伝統芸道賛美はなく、伝統芸道の伝承の特殊性を、習得一般のなかに意味づけようという著者の意図は成功していると思われる。 ただ、著者が述べている学校や教育への示唆は、その内容の価値は認めても、伝統芸道との決定的な違いについては押えておいて欲しかった。それは、現代の教育、とくに学校教育では、学習者が「善いもの」として同意したもの以外も教育される点である。数学に「善いもの」として同意したからといって社会や音楽をやらなくていいわけではないし、国語だろうと理科だろうと同じである。そして同意したものだけをやればよい度合いが増す(例えば医学や芸術の専門課程)とそれだけ「わざ」の習得に近づくのではないだろうか。 「わざ」の習得からの示唆、とくに「形」と「型」の不幸な混同と、教育における「型」の重要性を受け止めるとともに、学校教育の前提を、学習者が「善いもの」として同意したものを教えることとするのか、それとも現在の"教養主義"のままにするのか考えるときの糧として受け止めれば、この本を通して多くのことが見えてくると思う。 生田さんは1947年生まれ(慶應大学で教育学・認知科学の博士過程を修了)。この本は、「これまでの研究の集大成というよりはむしろ今後の研究の出発点として考えている」と本人が書いている通り、40歳(出版時点)の研究者がチャレンジした素晴らしい成果だと思う。 (2017年06月改/1990年10月筆) 東大出版会 認知科学選書14 1987刊 |