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奥野修司著 『心にナイフをしのばせて』
東京オリンピックの5年後――1969年――に殺人事件が起きた。
当時、私立高校1年生だった少年Aが、ジャックナイフで、同級生の胸・背中・頭・顔面、「計四十七ヵ所をめった刺し」にし、さらに「肩から水平に頸部を切り落とした」。そう、1997年に起きた“酒鬼薔薇”事件と同じことが、その二十八年前に起きていたのだ。 本書は、犯罪の加害者と被害者について考える手がかりとなる“異色”のルポルタージュであるが、このルポを“異色”なものにしているのは「二十八年前の酒鬼薔薇事件」(帯より)を扱っていることではない。 では、何が“異色”なのか? “異色”な点の一つ目は、奥野氏の取材が、被害少年の遺族の心に変化を生じさせたこと、そして、その内面の変化が記述の中心になっていることである。 奥野氏は、“酒鬼薔薇”事件をきっかけに二十八年前の事件を知り、被害少年の母親と妹(この時点で父親は亡くなっていた)を取材して月刊『文藝春秋』に発表した後、さらに本格的な取材を始めたのである。だが母親の取材は、「二〇〇二年ごろには取材そのものを断念しようとさえ思っていた」ほど難航し、妹の取材にも「三年近くもかかって」しまう。 取材を通じて、奥野氏は、 「その傷は、三十数年の歳月を経ても癒されていない。Aへの憎しみが消えたのではなく、憎しみを抱くことすら恐れるほど傷は深かったのではないだろうか。この母娘を見ていると、そう思わざるをえなかった」(231-232頁) “異色”な点の二つ目は、このルポの価値を高めている点であるが、五十歳を過ぎた少年Aに接触している点である。 奥野氏は、殺人を犯した少年Aの所在を突き止め、「弁護士」となっていることを知る。そして取材を試みたのだ。もちろん返事はない。したがって、少年Aが何を考え、何を感じ、生きてきたのかはわからない。 だが、この接触が事態を動かす。 被害少年の母親が、弁護士となった少年Aに手紙を書き、母親のところに電話が来るのだ。そこで、母親が少年Aに求めたこと、そして、それに対する少年Aの答えは、少年犯罪と少年法について考えようとする全ての人が知っておくべき“事実”だと思う。 「少年犯罪を防ぐ・減らす」という目標に反対する人はいないにもかかわらず、少年犯罪と少年法をめぐる議論には“不毛”と言ってよい対立がある。 「どうすれば防げるか・減らせるか?」になると、ある人は「厳罰化すれば少年犯罪は減る」と言い、別の人は「厳罰化しても減らない」と言い、様々な立場からの主張が対立し収拾がつかなくなるのだ。 さらに混乱するのは「更生」をめぐる議論だ。 加害少年の更生とは何なのか? 少年がどのようになれば更生したことになるのか? 加害少年が社会に戻り、二度と犯罪行為を犯さなければ更生なのか? 加害少年が被害者・被害者の遺族に対して、本心から謝罪すれば更生なのか? どうすれば加害少年を更生させられるのか? 更生させるのは、罰か? 教育か? 加害少年の更生の実態が調べられることもなく、また、被害者や被害者の遺族を援助することもなく、言葉だけの論争で時間が流れていくのが日本社会の現実である。 タイトルは被害少年の妹の言葉が元になっているが、この「ナイフ」は多くの遺族が心にしのばせているものだろう。妹が、心にしのばせているナイフをどのように使うつもりなのかは本書を読んで欲しいが、果たして、その日が来ることはあるのだろうか……。 (2007年07月) 文藝春秋社 本体1571円+税 2006刊 ISBN4-16-368360-7 |