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上野千鶴子著『セクシィ・ギャルの大研究 女の読み方・読まれ方・読ませ方』

 1982年出版の本作(光文社版)が、すっかり大御所になった上野千鶴子氏の出世作で、あとがきの言い回しを借りれば、
「これは私の活字になったはじめての本、つまり処女喪失作です。」
ということになります。

 当時、大学生以上の年代(2013年現在で50歳以上の年代)だと、カッパブックスで出た本作の衝撃(?)を覚えている人も多いことでしょう。とはいっても、内容を覚えている人がどれくらいいるのか? 私はまったく中身を覚えていませんでした。それどころか光文社版を読んだ事実すらきれいさっぱり忘れていました。なんともはや……。

     ◇

 30年が経過した2012年に読むと、どこかで見たり聞いたりしたな、という印象を受けます。まったくもって目新しくない。この点については、文庫版巻末の自著解題で上野氏自身がこんなふうに書いています。
「本書は、……記号学的な関心と、……女性学から生まれた関心、そしてメディアと消費社会への関心とが幸せな交叉をしたところに生まれた。以上の関心はそれぞれの領域の研究にその後引き継がれたが、この三つがクロスするような研究主題には、その後、わたしは出会っていない。類書が少ないせいで、本書はその後も長い期間にわたって、多くの読者に読まれつづけてきた。……
 とりわけメディア研究の領域で非言語的なメッセージの研究を志す後進の研究者によって、卒業論文や修士論文などに引用されてきた。……」

「しぐさの文法や身体技法に関心が高まりながら、方法上の困難から、研究の蓄積がそれほど多いとは思えない今日においても、本書の価値は減じているようには思えない。内容的には、具体的な事例や人名に、古めかしさを感じるのはやむをえないが、書かれた予見の多くは、当たっているように思える。」
 30年前に書かれた分析や予想が的確だったから今読んでも違和感がないし、上野氏が提示したことを他の人の言葉を通じて、それと気づかずに見聞きしていたために目新しさがないということらしいです。

 というわけで、自著解題に「資料的価値を残すために、前著への改訂は最小限にとどめた」と上野氏が書いている通り、今後の研究にとって貴重な先行研究ということになるでしょう。

     ◇

 学問は真理を志向するもので、望ましい未来を志向することは本質ではありません。もちろん、望ましい未来に役立つよう学問的成果を利用することはあり得ますし、学者個人が望ましい未来を志向して学問的探究を進めることもあります。しかし、学問そのものは真理を志向する。このあたり、上野千鶴子氏は、きわめて自覚的に使い分けていると思います。上野氏はあとがきにこう書いています。
「……私はべつに、何かのお役に立てようと思ってこの仕事をしたわけではありません。『お役に立てる』のは、あなたのほうです。ぶりっ子したい人は、もっと上手にぶりっ子できるようになるでしょう。どのみち人間は、男であることや女であることから、降りられないのだから。あとはどうやって自分を演出するか、が問題です。私が女の人たちに知ってもらいたいのは、自分がぶりっ子をしているときも、それに自覚的でいてほしい、ということです。」
 1982年に書かれた文章を読むと、最近の中高生が〈キャラを演じる〉ことで生き延びているという話が連想されました。彼らは自覚的なんでしょうか? ある部分は自覚的なのかもしれませんが、上野氏が30年前に女性に向かって発した「自覚的でいてほしい」の自覚的(この意味の自覚的の最高峰は、松田聖子というアイドルを演じ続けている女性かもしれません)とは、だいぶ違う気がします。

 もしかすると、〈キャラを演じる〉ことに苦しんでいる人がこの本を読めば、自分を取り囲んでいる現実を見るツールを得ることができるかも……そんな気がします。でも、手に取ってくれるかな……。

(2013年03月)

岩波現代文庫
岩波書店
2009年


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