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セーガン著 『COSMOS』 (上下)1993年にこんな書き出しで紹介を書いた。◇ 1980年に『COSMOS』が書かれてから、すでに14年が経つ。 だが、カール=セーガンのメッセージは何ひとつ古くなっていない。 セーガンが、この『COSMOS』を通じて伝えようとしていることは、たったひとつだといってもよいだろう。 〈 人間は宇宙の子である 〉 これは比喩ではない。 宇宙が二百億年前に誕生し、以来星が生まれ死に、惑星系が生まれ死んだ。そのくりかえしの中で、ほとんど水素ばかりであった宇宙は、新しい元素を生みだしていく。炭素。酸素。窒素……鉄。 百数十億年まえ宇宙の一角に銀河系が生まれ、五十億年まえ銀河系の片隅に太陽系が生まれた。太陽系は、ひとつの太陽と九つの惑星からなる。それらを形作った元素たちは、いま太陽系がある近くで死んだ惑星系の子どもたちだった。太陽系の第三惑星に液体の水が生じた。三十数億年まえ、水の中で”生命”が生まれた。”生命”は、宇宙の子だ。 水中の”生命”はやがて地上にあがり、より進化した子孫を残した。その、最後の最後に”人間”は生まれた。 このもっとも若い宇宙の子は、宇宙の謎に挑み続けている。ほんのわずかづつではあるが、宇宙の謎を解き、みずからを生みだした母を知り続けている。 ◇ 21世紀になり、宇宙の年齢は137億±2億年とわかった。 セーガンの死後も宇宙探求の営みが続き、誤差2%という高い精度で、宇宙の年齢を知るところまで来たのだ。 同時に、宇宙の子は、地球気候変動(いわゆる地球温暖化)を引き起こし、自らの首を締めつつある。 セーガンが送り出したボイジャー1号と2号(1号は1977年9月5日、2号は1977年8月20日)は、すでに太陽系の外に出ている。2機は、木星や土星などの惑星探査を終えた後,『太陽圏の外縁部と星間空間の探査』という新たな任務」を果たし、今も孤独な旅を続けているのだ(2004年にボイジャー1号が、2007年にボイジャー2号が、それぞれ太陽圏と呼ばれる太陽風の届く限界を超えた)。2機には、太陽系のこと、地球のこと、生物のこと、人間のことを知らせるものが積まれている。太陽系外の知的生命体がそれを手にすることがあるのだろうか? それを誰かが手にした時、我々は、母の懐に居続けているのだろうか? 宇宙の子は、どこまで母に甘え続けるのだろうか……。。 (1993年10月に書いて2010年、2013年に直す) 朝日新聞社 1980 |