ぴゃんの本棚



火曜定休でした(岡本太郎記念館



宿輪純一著 『通貨経済学入門』

 何であれ、専門的分野の入門書というのは、書くのが難しく、評価を受けにくいものだと思う。しかし、この本は違う。

 初学者として入門書を手にするときは、当然のことだが、わかりやすいことを望む。初学者は、専門的なことを専門用語で説明されてもわからないから、初学者なのだ。もちろん、専門用語を調べながら読めば良いのだが、「入門」とあると、自分が一生懸命に努力するよりも、専門用語をかみ砕いて説明し、内容に関して手取り足取り導いてくれると思ってしまう。

 「入門」とある本でも、自分がある程度知っている分野のものを手にする場合、基本的なところから書いてあることは我慢するにしても、読後に「全部知ってたな」となると不満を感じる。1冊の本を読んだのだから、知っていると思っていたことについて誤解が見つかるとか、それまでより深く理解できるとか、時代の変化がわかるとか……、新たな発見が欲しいと思う。

 入門書の書き手は、幅広い読者の中から、主たる対象を想定して書くことになるが、初学者を想定して書いた場合、専門的な知識を持っている読者に、あれも書いてない、これも書いてないと思われるかもしれない。逆に、深くは知らないにせよ、ある程度の知識をもつ読者を想定して書くと、初学者にとって理解しにくいものになり、入門書という看板に偽りありと思われる危険もある。

 私は経済学を学んだことはないし、経済に関わる本を読んだ経験に乏しい。つまり、初学者だ。初学の読者として見ると、とても〈わかりやすい〉本である(たとえば、固定相場制と変動相場制の違いの本質が〈持続する時間〉にあるという説明は、すごく納得できた)。

 初学者の私には、この本の専門的な内容の是非について判断することはできないが、ネットなどの他の読者の評価を見ると、知識をもっている読者にとっても優れた解説だそうだ。

 つまり、この本は〈入門書とはかくありたい本〉なのである。

   ◇

 本書は、書名の通り「貨幣」について、そして、「貨幣」と「経済」の関わりについて、扱っている。事実と理論を並べて話の流れを整理し、専門用語に解説を入れつつ、おそらく、経済を勉強している人間が落ちやすい落とし穴なのだろう、ありがちな誤解に関する指摘している。

 さらに、メディアを流れる一面的な情報について、単に批判するのではなく、それがどういう点で一面的なのか、どのように見るべきなのかを説明している。何であれ、不十分な点を見つけて批判するだけなら易しいが、どういう意味で不十分なのかまで説明するのは難しい。それを、わかりやすく書いているのは、著者が映画評論家でもあるからなのかもしれないが、凄いことだと思う。

   ◇

 ところで、私は、メディアに出てくる経済評論家や大学教授などの言葉を聞きながら、強い違和感を持っていた。

 経済学の理論・法則(と称するもの)は、そんなに正しいのか?

 現実社会で、ある経済理論に基づいた(と称する)複数の予測が互いに矛盾したり、ある経済理論に基づいた政策が実行されて失敗するという場面を多く見せられたためなのか、あるいは、政策に先立っての説明が不十分だったからなのか…、経済評論家や経済学者への不信感が強いのだ。

 そんな不信感の原点には、日経サイエンスの1999年(5月~12月)に連載された「高安英樹のエコノフィジックス講座」がある。

 1999年年12月号(p.70)に、こんな部分がある。

 自由経済がゆらぎに強いといっても良いことばかりではない。自由は無駄を生むからだ。たとえば、欲しいときに欲しいものが買えるという自由を守るには、社会全体として供給超過状態の維持が必要だ。つまり、大部分の商品は、生産段階からある程度消費されずにゴミとなることを念頭に置き、多めに供給されている。地球環境を守るのに無駄をなくそうとすれば、必然的に自由経済も見直しが要求される。

 今読んでも納得できる。しかし、少し前まで、テレビ画面には「自由競争が無駄を減らす」と繰り返す経済評論家や政治家、大学教授ばかりだった気がする。


 また、日経サイエンスの1999年6月号(p.109)にこんな部分がある。

 しかし、そこに根本的な間違いがある。現実の価格変動を観測すると、正規分布よりもはるかに分布のすそ野が大きくなることがすぐに確かめられる。つまり、現実には、正規分布で期待されるよりも大きな変動がかなり高い頻度で発生していることになる。
 物理学の場合、現実と理論にギャップがあれば、勝手な仮定に基づく理論はそもそも現実には向かないと理論提唱者が批判を受けることになる。ただ、社会的には何の害もない。しかし、金融商品の場合には、理論がいいかげんであっても、売る人と買う人さえいれば、そのまま現実の商品として成立してしまう。


 12月号(p.71)にはこんな部分もある。

 今の経済は、需要と供給が均衡して安定するという現実には起こりえない理論を基礎としている。

 自然科学の理論・法則は、自然現象を説明する。単純化すれば、自然科学とは、自然現象に関するより良い説明(より良い理論)をつくる営みと言うことができる。自然現象は、因果関係の連鎖によって説明されるが、その因果関係は決定論的で、初期条件が決まれば結果が一意に決まる(量子力学が扱う現象では、不確定性が含まれるが……)。つまり、理論が確立すれば、自然現象を十分な正確さで予言できるはずなのだ。しかし、経済現象を十分な正確さで予言できる理論はない(日経サイエンスの2012年2月号には『金融危機はなぜ予測できないか』という記事がある)。

 自然科学では、自然現象を説明する理論は、最初、〈仮の説明=仮説〉として姿を現す。仮説は、さまざまな検証にさらされ修正されて、より良いものになっていく。まだ検証を受けていない〈仮説〉は理論・法則とは呼ばれず、十分な検証に耐えた〈仮説〉である理論・法則とは区別される。しかし、上に引用した高安氏の連載からは、経済理論が十分に検証を得ないまま信頼に足るものとして利用されている恐ろしい状況が読み取れてしまう。

 この本を読んでいる間、そうした違和感はなかった。ちゃんと、どこまでが説明できるのか、どうした限界があるのか……、それを踏まえた説明になっていたからだ。

   ◇

 本書には「国・民族の経済的性質の差異」(p.211~)という項目もある。ここを読んだときに、こんな話を連想した。

 2匹が協力すると餌が得られ、協力しないと得られない実験で、2匹の霊長類は協力する。だが、両者が得られる餌の質に大きな差があり、あまりに不公平な条件にすると、質の悪い餌しか得られない側が協力しない。彼らは〈平等〉であるかどうかに敏感らしい。

 1万円を2人で分ける。両者が合意しなければ1円も得られない。この時、100円と9900円に分け相手が9900円を得るという条件を出してきたら……。0円よりは100円を選ぶ方が経済的に合理的と言われても、納得できる人はいないだろう。

 本書には、行動経済学という話もあり、心理面と現実の経済制度との関係まで書かれていて、経済理論を金科玉条にした議論が成功しない理由も納得できた。

   ◇

 とにかく、初学者が現在の世界経済について理解できるようになりたいと思った時に、この本は良い解説書であり、良い入門書だと思う。

(2012年1月)

日本経済新聞出版社
2010


戻る

Copyright(C) 2009 ぴゃん(-o_o-)/額鷹

メールアドレス

このサイトはSitehinaで作成されています。