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カップの中の羊歯(Paul Bassett



氷室冴子著 『なんて素敵にジャパネスク』シリーズ

『なんて素敵にジャパネスク』
『なんて素敵にジャパネスク A』
『ジャパネスク・アンコール』
『続ジャパネスク・アンコール』
『なんて素敵にジャパネスク B』
『なんて素敵にジャパネスク C』
『なんて素敵にジャパネスク D』
『なんて素敵にジャパネスク E 後宮編』
『なんて素敵にジャパネスク F 逆襲編』
『なんて素敵にジャパネスク G 炎上編』

 コバルト文庫をはじめとする少女小説の世界はなかなか売れ行きがよいようです。誰だったかなあ。この問題(コバルトなんかがよく読まれているということ)は考えてみないといけないんじゃないかっていってましたねぇ。もし、面白いから読まれているんだとしたら、それっていわゆる“活字離れ”って奴は、小説なんかがつまらなくなったということを意味しちゃうんでしょうかねぇ?
 「読書=なんでも読む」だと思っている私としてはいささか???ですね。

 このジャパネスクシリーズは、平安時代(と思われる時代)の朝廷・貴族の世界を舞台に、現代人(20世紀の現代人)のような感覚の持主たちが現代人(平安時代人)として活躍しております。

 主人公の瑠璃姫の演じまする大活劇の数々。そこにロマンスがからんで……。
 Eで、主人公・瑠璃姫の冒険もいよいよクライマックス!
 なのに、ひどい。作者はこの本をとんでもない所で終ってる。いよいよクライマックス中のクライマックスというところで止めてしまうなんて!
 友人に「6巻、出ましたよ」と言われたので家まで待ちきれず、借りて読んだのですが……、その時、友人に「でも、これ、とんでもないって思うかも知れない」みたいなことを言われて……。てっきり「話の進展が意表をついているのだろう」なんて思った私が馬鹿だったのね。

 閑話休題。
 こういうシリーズ物が、半年に一度くらいのわりで出てくるとして、ふつう前の話をどのくらい覚えているのであろうか? 覚えていなくても読めると言ってしまえばそれまでだが、覚えていないためによく判らないこともでてくるかもしれない。伏線なんかがあればそうなるだろうし。それに関連して気になっているのは、小説を最初に読み終った時にふつうどのくらい内容を覚えているものなのか?

 私の場合、時として読み終った時にほとんど何も覚えてないことがある。基本的に気にしない事にしているが(気にしていた頃もあったが、けっきょく開き直ってしまった。つまり、大切なことは覚えているはず。従って、覚えているのは大切なこと。だから、覚えていないのは大切でなかったということだ、という訳)、ときどきミョーに覚えている方がいらして不思議な気持にさせられることがあったりするのです。

 文月にEが出て、その「後書き」で「年内にけりをつける」と言っといて、年もおしつまった師走に2冊もまとめて出すなんて……。忙しい読者を何だと思ってるんだっ。ったって、まあ知るわきゃないんだけど。で、本の内容を紹介するのは……、ネタバレになるのでナシですね。

(1990年12月に書く)

集英社
コバルト文庫
1984〜1990


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