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品川駅の夜(伊吹 唯


安本美典著 『新説・日本人の起源』

 最近までの日本人の起源についての学説を整理したうえで、著者は自説を述べているが、扱われている範囲は遺伝学と言語学を中心に考古学、歴史学、生物学(遺伝学以外)とかなり広く、最近の話題も含まれていて読む価値のあるものになっている。

 このテーマはとにかく多種多様な説があって、さらに様々な分野の人がそれぞれの証拠に基づいて発言するために状況が把握しにくかったのだけれど、この本を読むとそういう見通しがある程度つくので(著者の見方によるというバイアスはあるが)、それぞれの説を勉強するための基礎編あるいはそれぞれの説を比較検討するための整理編として使えるだろう。

 ただ、内容的には?が付くところも見かけられた。日本人の起源を考えるうえでのキーワードが「言語」と「人種」だと言っているのだが、これがまず問題。「人種」というのは注意しないといけない言葉・概念であるのにかなり安易に使っている。しかもそれをキーワードと言ってしまうあたり、もう少し検討して欲しい感じをうける。

 さらにこれと関連するのだが、これを読んでいて強く感じたのが「日本人」という概念の曖昧さである。あるいは多義性といってもよい。この問題は論じ出すと長くなるのでここでは簡単な指摘をするにとどめるが、「日本人」と言ったときの厳密な意味はどういうものであろうか。あるいは、ある人が「日本人」であるための条件は何だろうか。
 「日本人」が「日本人」でなくなることは可能か。では「フランス人」と言った場合はどういう意味であり、「フランス人」であるための条件はどうで、「フランス人」をやめることはできるのか。これは「国」という言葉にもまとわりついている問題である。

 生物学のデータに基づく議論の部分に少し怪しいところがあるのは御愛敬だが、著者の専門である言語学(数理言語学)の部分の論理に疑問を感じるのはどうしたことだろうか? これは他の本とも共通するもので、言語学的なデータから推論するときの次の様な問題である。基礎語彙(どんな言語にも存在するような語彙で数詞や身体語、鳥、雲、水など)は時間に対する抵抗性が強いと言って二つの言語が互いに別れてからの時間を推測するのに使いながら、他方で日本語の身体語や数詞、代名詞、植物関係の語が流入してきた言語によってもたらされたとする。これは論理として少しまずかろう。また(数理)言語学による年代の推測の基になる理論は印欧語からの理論だが、著者は日本語は西欧の言語とは全く違った過程を経て形成されたと言う。全く違った過程を経たとしたら同じモデルを仮定することは出来ないだろう。これも少々疑問を感じる点である。

 こうした問題はあるものの、最初に述べたように読む価値はある。それに、日本人の起源なんかも歴史の教材として面白いのではないだろうか。

(1990年08月)

JICC出版局/宝島社
JICCブックレット
1990

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