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若島正著 『ロリータ、ロリータ、ロリータ』ナボコフの『ロリータ』について論じている本である以上に、『ロリータ』という作品を通じてナボコフについて論じている本だと思う。著者の若島氏は、作家と読者の間の繊細な交感が好きなようで、「序」にこのように書いている。 (前略)トルストイの筆先にきわめて細やかな神経が行きとどいていて、そのトルストイの筆先を、ナボコフが小説家としての直感で、さらにはすぐれた読者としての感性で、なぞってみせているということなのだろう。わたしはトルストイとナボコフのこうした交感に、嫉妬心まじりでうっとりと見とれてしまうのである。 そして若島氏は、『ロリータ』という小説に対する「一人の読者であるわたしが示すことのできる、最大の愛情の証」として、ナボコフが作り上げた精緻な世界の細部を拾い上げたいと考えているようだ。 本書の特徴のひとつに、冒頭の章で、チェス・プロブレム(チェス版の詰将棋)が登場することがある。若島氏が詰将棋作家でもあることはともかく、ナボコフがチェス・プロブレムの作家であったこと(本書で初めて知った)は、『ロリータ』そして他のナボコフ作品を理解する上で重要な手がかりとなる。若島氏はそのように考えており、それは十分に納得できる。なので、チェス・プロブレムを扱った部分は読みにくいが、我慢して読解した方が良いと思う。 要するに、若島氏は、『ロリータ』を〈小児性愛というタブーを描いた作品〉としてではなく、ナボコフが作り上げた"プロブレム"としてとらえており、若島氏自身が書いているのだが、その"プロブレム"を楽しむための「ガイドブック」として、同時に、若島氏という読者からの"プロブレム"に対する解答(現時点での未完の解答)として、本書を書いている。 ということで、『ロリータ、ロリータ、ロリータ』を読んでいる間、どちらかというとサスペンス物を読んでいる時に近い感覚だった。『ロリータ』という作品を〈小児性愛というタブー〉から切り離して論じることは、社会的には難しいかと思う。だが、作品論、作家論としては「あり」だろう。 読者を選ぶが、楽しめる人には楽しめる。そんな本だと思う。 (2013年09月に書いた) 作品社 2007 |