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井上ひさし著 『ジャックの正体 エッセイ集3』
著者がオーストラリア国立大学に大学在住作家(Writer in residence)として招聘されたときのものを含めた25編のエッセイ(1971〜78)を集めた本である。それぞれに面白く、著者独特の雰囲気がある。
時代を反映した話題(オイルショックによる紙不足の話題とか、糸山英太郎の選挙違反の話題、田中角栄の逮捕の話題)や、著者の身近な話題(人間ドックのこととかオーストラリアでの経験)、表現にかかわる話題(映画のカットの話や、テレビの話、四畳半襖の下張の裁判の話)、教育についての話題など様々なもの・ことについての著者の視点は、考えさせられるものがある こうした話題のなかからひとつだけ紹介しよう。オーストラリア国立大学日本語科の試験制度の話題である。 著者はこの学科に招聘され学生の指導を(も?)したのだが、そこでの成績の付け方がとてもユニークであった。そこでは基本的には試験をやらずに成績をつける。特にユニークな一人の教師は、学生に成績を自己申告させる。そして 「パルヴァースさんのほうは、いわゆるエンマ帳に学生の成績を一人一人メモしており、学生の自己査定とエンマ帳を見較べ、『八十点とは、あなたは自分を低く評価しすぎていますねえ。わたしのつけた点数では、あなたは八十五点でしたよ。五点損しましたね、お気の毒に』といいつつ、その学生の申告したどおりに評価点を……成績表へ記入する」このやり方で、評価の違いがほとんど五点以内におさまるという話を聞いた著者は、「インチキ評価点をつけてくる学生がいる」だろうと尋ねた。するとこの教師は、そういう場合はまず他の教師に自分の評価が誤っていないか確かめ、誤っていなければ『冷静に自分を見つめて、もういちど採点し直したほうがよろしい』と言い渡すと答える。著者はそれに満足せず、学生がそれでも断固主張を変えない場合はどうするのかと突っ込む。それに対してパルヴァースさんはこう答える。 「彼がどうしても自己評価点を引っ込めたくない場合、彼は試験という防衛手段を選ぶことができます」これ(と他の様々な事柄)から、著者がどんなことを言っているかに興味がある人はぜひ読んでみて下さい。 (1990年10月) 中央公論社 文庫1982/刊行1979 |