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井上ひさし著 『自家製 文章読本』
この本はタイトル通り、井上氏の文章に対する個人的な考えが述べられる。
その底に流れているひとつの思いは、従来の文章読本の主張に対する疑義である。 例えば、川端の『城の崎にて』についての評言「名文とは作者の名が浮かばない文章のことだ」とか、谷崎の「(『城の崎にて』の文章は)簡にして要を得ているのですから、此のくらい実用的な文章はありません」「小説に使う文章で、他のいわゆる実用に役立たない文章はなく、実用に使う文章で、小説に役立たないものはない……」を引用して、「志賀直哉の、彫琢、簡潔、達意、平明な文体を賞賛する声は数え切れない」と言う。そして、それに対して、達意平明、簡潔な文章の例として新聞記事や日刊アルバイトニュース・とらばーゆの広告を挙げ、達意・平明・簡潔な文が名文だという論理からはこれらはすべて名文になると批判している。あるいは、「『簡』にして『要』を得ないところにこそ谷崎文学の魅力があると思うのだが、じつはその書き手のほうが、達意平明、そして簡潔な文章に熱い眼差しを送っているわけで……」と書く。 もちろん批判ばかりが書いてあるのではない。読者が、文章を書くときに参考になると思われる部分もある。その一つを紹介する。 著者は、文章を書く難しさを乗り越える燃料は、 なんのために(動機・目的・用途) なにを(文章の中心思想) どのように(語り口・文章形式・文体) 書こうとしているのかを必死に考えることだと言う。そして中心思想をできるだけ単純な短文にまとめることが文章を書くうえで役に立つと言う。 これ以外にもいろいろなおもしろい指摘があってとても紹介できないが、この本は、『私家版 日本語文法』や『日本語の作文技術』(本多勝一)とともに、文章を書くことに興味があるなら是非読みたい本だと思う。 (1990年04月) 新潮社 1987 |