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シェイクスピア著 『ジョン王』『ジョン王』は、12世紀末から13世紀初頭の英仏を扱った歴史劇で、シェイクスピアが生きた時代(1564生・1616没)から300年以上も昔を扱っている点で、他の歴史劇とは異なっている。現在から300年以上前は戦国時代や江戸時代。となると、シェイクスピア時代の観客は、私たちが織田信長や徳川家康、武田信玄を扱った舞台を見るのと近い感覚を味わったのかもしれない。 タイトルになっているジョン王は、大陸にあった領土を失ったことなど、いろいろな理由から、歴代の王の中でも評判が悪いのだそうだ。そのためか、ジョン2世王はいない。批判されるほど酷い王なのか判断するほどの知識はないが、英王室を代表する英雄・獅子心王と比べられて損をしている面もあるかもしれない。 ◇ ジョン王は、この作品の中でも魅力がない。勇壮でもなく、誠実でもなく、悪の魅力があるわけでも、美しい弱さがあるわけでもない。言ってみれば凡人。悪の誘惑に弱く、それを行ってから後悔し、責任を他人に押し付ける。一つ一つは人間のもつ普通の弱さだ。ただ、それらは「王」には許されないものになってしまう。 ジョン王は、リチャード獅子心王(ライオンハート)の弟である。だから仕方がないのだが、王室有数のヒーローと比べられるのでは辛いだろう。自信も無くすだろうし、コンプレックスも強くなるに違いない。つい虚勢を張りもするだろうし、うまくいかない状況に追い込まれると掌を返したくもなるだろう。 ◇ シェイクスピアは、獅子心王とジョンを皮肉な形で対比させている。 第一幕・第一場。 舞台は、ジョン王の元に派遣されてきたフランス王の大使に対して、ジョン王が戦争を宣するところから始まる。フランス王は、ジョン王の兄ジェフリーの息子・アーサーの後ろ盾となり、アーサーに王位を譲ることを要求し、ジョン王が拒絶したのだ。 ジョン王は母親(皇太后エリナー)に言う。 「われわれには強大な兵力、正当な権利があります。」 皇太后は傍白して答える。 「おまえの権利より強大な兵力のほうを頼みとなさい、でないと、おまえにも私にも不利なことになります。これは私の良心がおまえの耳にだけそっとささやくことば、誰にも聞かせてはなりません。天とおまえと私のほかは。」 リチャード、ジェフリー、ジョン。王位継承はこの順になる。リチャードが亡くなり、ジェフリーが死ぬ。次は、ジェフリーの息子・アーサーか? ジェフリーの弟のジョンか? 戦争は、王位継承をめぐる争いなので、先の皇太后の言葉は順番違いのことを言っているように聞こえる。 そこに、王の裁決を得るために、フォークンブリッジの兄弟が登場する。兄のフィリップは、獅子心王が兄弟の母親に産ませた子なのだ。 皇太后が王に傍白する。 「この男にはどこか獅子心王に似たところがある、顔つきだけでなく、話しぶりまでそっくりです。この男の大きなからだつきに、私の息子、おまえの兄の特徴が読み取れはしませんか?」 王が傍白で答える。 「実は私の目も先ほどからつくづく眺めた結果、兄リチャードに生き写しと思っておりました――」 兄・獅子心王によく似たフィリップ。 兄・獅子心王に似ていないジョン王。 皇太后の先の傍白が、ジョン王が父王の血を引かない可能性を匂せてくる。 史実では、獅子心王リチャード、ジェフリー、ジョン、皆、父王の子のようである。シェイクスピアは、劇的な効果のために、かなり大胆に事実をアレンジする。この作品でも、アーサーの年齢が史実と大幅に違う。だから、ジョン王が不義の子なのかどうかは分からない。シェイクスピアの時代にそんな見方が存在したのか、シェイクスピアの創作か……。 ◇ この作品の登場人物の中で、ジョン王だけが酷いわけではない。アーサーの後ろ盾になったはずのフランス王も掌を返すし、ローマ法王の大使は消えかかった戦争の火を煽ったかと思えばその火を消しにかかる。 そんな中、嫡子ではないが獅子心王の血を引くフィリップは、なかなか魅力的に描かれている。サー・リチャードとなった彼は、一貫してイングランドの忠実であろうとし掌は返さない。 ◇ 何度も掌が返り、ジョン王の死と休戦で終わるこの作品の登場人物を、誰に演じて欲しいだろうか? 威張るかと思えば媚び、強がる一方で怯える。非常に人間らしいこの弱い王は? 大きな体にエネルギーを満たした、領地を捨て、人生を運に賭けた私生児リチャードは? 美女との結婚と持参金の領地に掌を返すフランス皇太子は? どうやら「ジョン王」は、演じる役者によって、様々な苦味を味あわせる作品のようである。 (2013年08月) 小田島雄志・訳 白水社 |