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倉橋由美子著 『大人のための残酷童話』

 倉橋氏は1935年高知生まれの作家である。 読んだ作品から勝手に判断すると、世の中の常識に批判的で辛辣なことも平気で言う(書く)人らしい。

 この本は、人魚の涙を始めとするいろいろな童話・おとぎ話を「換骨奪胎したり煮つめたりして」大人向けの童話に仕立てたもの26編からなっている。その動機やねらいを著者はあとがきでこう書いている。まず近頃の小説のつまらなさの説明としてG.K.チェスタトンの説を紹介したあとで

 「それではお伽噺はどうかと言へば……お伽噺こそ完全に理屈にあったもので、空想ではない。…………。お伽噺の世界にはきちんとした法律があり、論理があります。この法律と論理の体系が魔法ですが、魔法は整然と論理的に超現実的な世界をつくりだします。だからお伽噺の超現実の世界は合理主義に満ちてゐるのです。その文章は明確で曇りがなく、余計な心理描写も自然描写もなく、世界は整然と進行していきます。同情も感傷もこの帰結を左右することはできません。その意味でお伽噺の世界は残酷なものです。因果応報、勧善懲悪、あるいは自業自得の原理が支配してゐます。子供がお伽噺に惹かれるのも、この白日の光を浴びて進行していく残酷な世界の輪郭があくまでも明確で、精神に焼鏝を当てるやうな効果を発揮するからです。

 しかしさういふ古いお伽噺を子供が読むことはだんだん少なくなりました。代はつて大人たちが子供に読ませたがるのは新作の童話、あるいは「児童文学」といふいかがはしい読物で、これは主人公に子供がでてきたり動物が出てきたりはしますが、チェスタトンの言ふリアリズム小説を、大人が子供を演じながら書いたもので、……。子供っぽい稚拙な文章でくどい描写が続き(ここのところはリアリズムです)全体はとりとめなくもやもやした空想の産物になってゐて、まるで長い悪夢さながらに退屈です。要するにこれは現代風のつまらない小説の児童版であるわけです。

 そこでそれなら一つ古いお伽噺に倣って、論理的で残酷な超現実の世界を必要にして十分な骨と筋肉だけの文章で書いてみよう、といふ気になったのがこの『童話集』に手をつけたきっかけです。これが童話であって小説でないのは、描写を通じて情に訴えるといふ要素をすっかり棄てて、論理によって想像力を作動させることを狙ってゐることとも関係があります」

 挿絵として使われている銅版画も話の雰囲気にマッチして、楽しめるものになっています。ただ、読後、すっきりと気分がいいというわけにはいかないようです。ですから読後の感想は読み手によってそうとう違うでしょう。好き嫌いもはっきりでるだろうと思います。しかし”大人”の童話なのだから、それでいいのでしょう。

(1990年10月)

新潮社
1984刊


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